きっかけ(その1)

母のCDができたことは、私を本当に強くした。

本当はね、できるなんて思ってなかった。

できたらいいなあ、とか、ただ思っていただけ。


私、自分が誇大妄想癖なのかなあ、なんてよく思っていた。

あれができたらいいな、ん?なんか頑張ればできるんじゃないかなあ。

そんなこと、いつも友人とお酒飲んで話してた。

たぶん、本当に夢見るYumekoちゃんで、聞いてる人は、あ~。又言ってる。なんて呆れながら聞いてたんだと思うけど。

だってさ、私、40代にもなって、いまだにそんなこと言ってるんだもん。

そりゃ、呆れるわ。


今まで、やりたいと思ったこと、そして、あたかも実現可能かのように口に出してたこと。

恥ずかしいくらいいっぱいあった。

なぜか、あふれるようにアイディアとか出てきて、それを考えている時が幸せで幸せで。


でもね、何にもできなくて。


だから、あ~。やっぱり私、誇大妄想癖という病気なんだって、自分に言い聞かせて、友達にもそれ公言して、許してもらおうとしてたんだな(笑)


でもさ、いい加減さ、いい年してさ、そんなことばっか言ってても、周りから見たら痛いおばさんだよね。


「いい加減やってみれば?そんなに強い思いがあるのに。なんかやってみれば。いつまでも大口たたいてないでさあ」


もう一人の私がいつも言ってたよ。

だからさ、夢語った次の日は、だいたい情けなくて落ち込んでたんだな(笑)。



だから、CDできたとき、本当にうれしかった。

もちろん、母の子守歌がカタチになったことが一番うれしいのだけど、でもね、自分が

「やろう!やってやる」って思ったことが、夢がカタチになったことが、最後までやり遂げられたことが、本当は一番うれしかった。


それでね、勇気が出た。


もしかしたら、私、できるかも。って。

あきらめなきゃ、できるかも。って。

ひとつひとつでもいいから、夢、実現していこう。って。



みんなの力借りれば、きっとできる。


そうだよ。自分ひとりじゃ大した力ないけど、助けてもらえば、実現できるかも。


そんな風に思ったんだよね。


他力本願とかじゃなくて、ちょっとずつの他力を沢山の人から貸してもらおうって。




「KOKO PLUS」ができるまで

夢をあきらめたくなくて、YUMEKOという名前で、アメブロ書いてきた。でも、そしたら、夢が本当に実現しそう。だから、今度は、この想い忘れないように、開業記録を残していこうと思う。 「人の夢、想いを笑わない」「人が心に秘めた夢や想いを大切にしたい。」「それをカタチにするにはどうしたらいいのか。」 そんま想いから生まれたビジネス。 「KOK PLUS」ができるまで

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